キングダム徹底解説(玄人編),キングダム豆知識下僕,信賞必罰,兵役,大将軍,春秋戦国時代,,,農民兵,

みなさんこんにちは!
キングダム解剖アナリストの『きまねこ』です。

アニメ5期も終わり、世間では一瞬キングダムの話題が遠ざかるのかと思いきや、7月12日から上映が開始される実写映画『大将軍の帰還』もあり、まだまだ世間では注目を集めている状況です。(ゲームの方は相変わらずリリースされませんが・・・)

実写映画主演の山崎賢人さんが、日本人初の『The Best from the East Award』を受賞したのも一キングダムファンとして嬉しい限りです。

さて、今回は、キングダムの主人公『信』は最終的に『大将軍』になるはずなんですが、そもそも春秋戦国時代に『下僕』から『将軍(大将軍)』になるのは可能だったのか?について史実を踏まえながら考察していきたいと思います。

こちらのブログを見て頂ければ、今後よりキングダムを楽しんでいくための予備知識がどんどんつきますので、是非最後までご覧いただけたら幸いです。

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【キングダム解説/考察】#3 誰も知らない豆知識・小ネタ※史実(春秋戦国時代)

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今回のテーマはこちら!

春秋戦国時代の兵役について

春秋戦国時代の兵役事情については、前半の『春秋時代』と後半の『戦国時代』で大きく違うと考えられております。

『春秋時代』の兵役事情

実は春秋時代には農民は基本的には兵士になれなかったと言われております。
キングダムの世界観からすると考えられないことですね。

では、誰が兵士になっていたかといいますと、貴族のご子息や農民でも地主など身分の高い人だけが兵士になれました
なぜかと言いますと、春秋時代にはもちろん戦がなかったわけではありませんが、キングダムで描かれているような大規模な戦争はほとんどなく、兵士といってもどちらかといえば、守備隊のようなものでした
史実上、実態がしっかり分かっているわけではありませんが、おそらく、ファンタジーアニメで出てくる街の中で威張り散らしているあの兵士のような感じだったのではないかと推測しております。
なんにせよ、身分の高い人しか兵士になれなかったので、春秋時代の軍の規模は比較的小さく、1国が持っている軍事力は多くて2,3万程度といわれているのが実際のところです。

『戦国時代』の兵役事情

しかしながら、戦国時代に入ると状況はうって変わりまして、みなが王を名乗り、その名の通り戦乱の世となりましたので、必然的に軍や戦争の規模も大きくなっていったわけです。
各国はこぞって兵役義務を拡大したり、徴兵制度を新たに導入したりするわけなんですが、どうもうまく機能しなかったようです。
様々な理由が議論されていますが、例えば、軍は元々高貴な人たちにより構成されていましたので、なかなか農民の従軍を認められなかった国もあったようです。

キングダムを見て頂ければわかると思いますが、秦軍では結構ボロ着の農民兵がたくさん描かれてたと思いますが、趙軍や魏軍はどうでしょうか。
全員が日本でいう士族のようにしっかり甲冑をまとい、訓練を受けているような兵士しか描かれていなかったと思います。
原先生はもしかしたら、史実に基づき、趙や魏は農民兵をうまく扱えなかった前提で軍隊を描かれたのかもしれません。

もう一つ、一部界隈で議論されている内容があり、秦国以外の国の農民兵は基本的にやる気がなくて、もとより全く使い物にならなかったという説があります。
そういった農民兵は戦う前に少しでもやばそうだと感じたら、すぐに逃げてしまい、重要な前線を任せることが出来なかったというわけです。

それでは、なぜ、秦国は、農民兵をうまく扱うことができたのでしょうか
これには秦国の兵役に関する制度が大きく関わっております。

秦国における兵役について

まず、秦国における兵役ですが、一説では15歳から60歳までと言われてます。
その当時の平均寿命を考えると、男子はほぼ全員が兵士ということになります。
いやいやと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これがあったからこそ、秦国は6か国を同時に相手にするだけの戦力を保有することができたわけです。
もちろん何もしなかったら、先ほど説明した、やる気のない農民兵が大量発生して、他国同様、いくら数がいても使えない軍隊になってしまうんですが、秦国はある2つの大きな施策をもってその状況を打開しました。

1つ目は・・・

能力のある人間は、農民だろうが他国の人間だろうが関係なく重用したと言われております。
重用にはキングダムでもおなじみの爵位が用いられ、能力のない人間は例え、貴族であろうが爵位が落とされる仕組みとなっておりました。

2つ目は・・・

功をあげたものには必ず、財貨をもってそれに答えたという話がございます。
キングダムでよく出てくる、『これより、論功行賞を執り行う!』というやつですね。
あれは史実でも実際に行われていたと言われています。

秦国では、この2つの制度があったからこそ、農民兵も他国と違い、やる気を出して戦っていたというわけです。

ただし、今はいいことばかり言いましたが、逆もまたしかりで、あまりに功績を残さない農民はすぐに奴隷落ちしたとも言われているので、まさに命がけで戦っていたんだろうなと誠勝手ながら想像しております。

この秦国で行われていた、功をあげたものには必ず報い、罪を犯したものには厳罰を与える行為を一般的に『信賞必罰』などと言われたりもしますので、是非頭の片隅にいれておいてください。

結論

春秋戦国時代、下僕から将軍に成り上がることは可能だったかについて、残念ながら、信のような下僕の少年が大将軍にまで成り上がったといった逸話や、信のモデルとなった『李信』が実は下僕出身だった、などという史実は、存在しませんが、秦国の制度をみるに、とてつもなく優秀な下僕が仮にいたとして、さらにその下僕がとてつもなく幸運に恵まれていたとすれば、あるいは、将軍になる道もあったのではないかと、個人的には考えてます。

キングダムの作中で魏の将軍『廉頗』の配下『輪虎』がいったセリフ『そして本当に天に寵愛される武将は一握り』はまさにこのことを指してるんじゃないかなと漫画を読みながら、誠勝手ながら原先生に感銘を受けた次第であります。

エピローグ

今回は、秦国における『信賞必罰』の考え方について、史実を交えながら解説してきましたが、実はこの考え方がまさに秦軍を強くしたという話もあったりするので、今後のブログでまた出てくるお話になるかもしれません。

次回につきましては、みなさんが本当に存在したのか疑問に思っている『山の民』の秘密について解説していきたいと思います。(なぜ仮面をつけているのか?など・・・)

キングダムをより楽しむため、春秋戦国時代をもっと勉強したいという方、是非次回のブログも見て頂けると嬉しいです。(きっとここにしかない情報が満載です!)

それでは次回作でまたみなさんにお会いできることを祈りながら拝手(キングダムで全員が当たり前のようにやってるあれですが、本当にあったのかは謎)

【キングダム解説/考察】#3 誰も知らない豆知識・小ネタ※史実(春秋戦国時代)

2024年4月11日キングダム徹底解説(玄人編),キングダム豆知識中国史,中華統一,史記,,咸陽,城戸村,嬴政,戦国七雄,戦国策,春秋戦国時代

みなさんこんにちは!キングダム解剖アナリストの『きまねこ』です。

アニメ(漫画)『キングダム』みなさん楽しんでますか?
アニメ5期(黒羊丘の戦い/桓騎vs紀彗)も終盤となっておりますので(このブログが公開されたタイミングでは終わってるかも・・・)、なかなかエキサイティングできる内容だったのではないかと思っております。

アニメが原作に結構追いついてきているので、アニメ6期については、2025年かな、などと勝手に考えております。

さて、今回は『【徹底解説】キングダムから学ぶ春秋戦国(玄人編)』と題しまして、前回ブログで説明した内容から、さらに掘り下げまして、誰も知らないようなニッチなネタ(豆知識)を解説していきますので、是非最後までご覧いただければと思います。

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キングダムオープニングナレーションについて

まずはこちらをご覧ください。

『古代中国。聖者の時代は終わりを告げ、人間の欲望は解放されていた。戦乱の嵐が500年にわたって吹き荒れ、100を超えた国々は7つに淘汰された。』

アニメ『キングダム』でおなじみの最初のナレーションですね。
一遍普通の文章が並んでるようにも見えますが、前半部分によくよく見てみると意味不明なキーワードが存在することに気付きます。

『聖者の時代』こいつですね!
実は漫画ですと、『聖者の刻』といった表現になってたりするんですが、『聖者の時代』とは一体何を指している言葉なのでしょうか?

今回はこちらをテーマに春秋戦国時代を解剖していきたいと思います。
『聖者の時代』を理解するためには、まずは春秋戦国時代の時代背景をより深く考察する必要があります

春秋戦国時代よりも前の時代について

春秋戦国時代をより深く理解しようとした際に、その前後にある時代も含めて考察するというのは1つの方法だと思います。
ちなみに学生時代に世界史を履修されている方には懐かしいお話になってしまうかもしれませんが、古代中国における時代遷移は次の通りです。

(紀元前2070年~1600年)→(紀元前1600年~1046年)→(紀元前1046年~770年)→春秋戦国時代(紀元前770年~221年)』そして、の時代を経て、三国時代へ突入していきます。

夏よりも前の時代については、もはや中国の神話に基づいた時代とされていることから、ここでは割愛させていただきます。
そして実はという話にはなりますが、上記で紹介した『夏』という王朝については、歴史家の中でも存在したかしなかったかで、論争が起こっている王朝になります。
結論からいうと、中国はあったと主張していますが、日本含め諸外国の歴史家は認めていない王朝になります。

ちなみに・・・

何がなされれば、王朝として存在が証明されるのかという話なんですが、出土した遺物(物的証拠)歴史書(史記など)に記載された内容がどのような形でもいいので一致して初めて存在が認められます。
残念ながら『夏』については、書物の中には登場するんですが、遺物として明確に紐づけられているものがないので、伝説の王朝扱いとなっているわけです。
※殷は出土した遺物に書かれてあった王の名前と史記に書かれている王の名前が一致したことから、実在の王朝として認定されました。
※また、ネット上では『殷(商)』という表記を見たことがある方がいらっしゃるかもしれませんが、これは中国において、王朝の名前を、創始者の王がどの地に封じられた(領地として治めていた)かで決めるというルールを設けており、『殷』の創始者は『商』という地に封じられたことから、実際には『商』が正しい王朝名となります。

さて、既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、古代中国における時代の名前は基本的に、その当時中華を治めていた王朝や国の名前から取られています
なぜか、『春秋戦国時代』は前回ブログでも解説しましたが、『春秋』『戦国策』という2つの歴史書の名前から取られているわけです。

『春秋戦国時代』が、他の時代と違って、特別な呼称を与えられている理由はなんなのでしょうか
次の章で解説していきたいと思います。

春秋戦国時代の名前が歴史書から取られている理由

結論から申し上げますと、非常にシンプルな理由になっておりまして、名前をつけるだけの王朝が実質存在していなかったからなんですね。
なにせ春秋戦国時代は、キングダムの世界でもおなじみの『戦国七雄』がしのぎを削っていた戦乱の時代なので、王様はある意味たくさんいらっしゃいました
キングダムの主人公『嬴政(第31代秦王)』もその1人になります。

一応『周』という、春秋戦国時代の1つ前の時代にあった王朝はそのまま存続はしていたんですが、自分に仕えていた一諸侯に戦争で負けたことで実質的な支配権を失いました
この瞬間、ある意味ですが『周』も戦乱の世における一国に成り下がったというわけです。

ちなみに・・・

ちなみに一国に成り下がった『周』も春秋戦国時代の中で慎ましく生きていたんですが、紀元前249年(キングダムの始まる4年前)にかの有名な秦の宰相『呂不韋』にとうとう滅ぼされてしまうんですね。
『周』は春秋戦国時代に入ったタイミングで内紛が起こり、本家の『西周』と分家の『東周』に分裂しております。呂不韋が紀元前249年に滅亡させたのは分家の『東周』の方であり、実は本家の『西周』は既に紀元前256年に、かの有名な六大将軍『摎』に攻められ実質的に滅亡しています。

原先生がキングダムの中で『周』を極力描かないようにしているのは、もちろん『嬴政』『信』を主人公としたため、年代がズレているからというのもありますが、それよりも、『周』が一応王朝として中華を支配しており、この本家・分家の話がややこしすぎたんで描かなかったんじゃないかなーと勝手に予想してます。

聖者の時代(キングダムopナレーション)の意味について

そろそろ本題に入りたいと思います。

聖者の時代についてですが、ナレーションの文章を解読すると、とりあえず春秋戦国時代の前の時代を指していることが分かります。
となると年表から察するに『周』の時代ということになるかと思いますが、周の時代は聖人君主が闊歩した時代だったということなんでしょうか

もちろんそれは違います。
周の統治の方法は、『封建制度』と呼ばれているもので、諸侯に対し、全体権力者である『周』がある一定地域の統治権を認めることで、諸侯たちがそれぞれの領地を治めることで成立していました
この制度のおかげで、春秋戦国時代と比較すると、直接、戦争などで領地を取り合うようなことは起きづらかったのではと考えられてます。

それでも、諸侯たちは少しでも自分の利権を増やすために、『周』に色々な献上品を渡したり、隣国と戦争したりはしていました。
とても聖者と言えるような方々ではなかったと思います。
しかし、そんな彼らですが、現在の歴史研究では、実はとある理論(宗教)を信奉していたのではないかと言われています。

それがこちらです。

『一族郎党皆殺しは絶対に行ってはならない。
一族郎党皆殺しを行ったものは末代まで呪われる』

その後の中国の歴史を考えるとにわかには信じがたい理論にはなりますが、この考え方があったからこそ、国の数が100を超えたという風に言われております。
(ナレーションでもしっかりその点には触れられてます。)

したがって、『聖者の時代』とは、周の時代、人々が『一族郎党皆殺し』を禁としていた時代、仮に戦争をしたとしても、最後は殺さずに人を生かした時代を指していたというわけです。

原先生はキングダムの中では『周』について一切触れておりませんが、ナレーションの冒頭で、直接的な国名は出していないものの、明らかに『周』を意識した単語を出すことで、『周』のことは当然理解しているとメッセージ発信されているので(と私は考えておりますので)、これはさすがと言うほかありません!!
そんな原先生の描くキングダムも当然、考察しがいのある深いストーリーなんだろうなーと勝手に確信している次第です。

エピローグ

今回のお話はここまでとさせていただいて、次回『咸陽』『城戸村』を中心に春秋戦国時代を『地理的』な側面から解剖していきたいと思います。
キングダムをより楽しむため、春秋戦国時代をもっと勉強したいという方、是非次回のブログも見て頂けると嬉しいです。(きっとここにしかない情報が満載です!)

それでは次回作でまたみなさんにお会いできることを祈りながら拝手(キングダムで全員が当たり前のようにやってるあれですが、本当にあったのかは謎)

【キングダム解説/考察】#1 誰も知らない豆知識・小ネタ※史実(春秋戦国時代)

2024年3月24日キングダム徹底解説(基礎編),キングダム豆知識中華統一,,史実,史記,,嬴政,戦国策,春秋戦国時代,無国籍地帯,王騎

みなさんこんにちは!キングダム解剖アナリストの『きまねこ』です。

アニメ(漫画)『キングダム』みなさん楽しんでますか?
漫画は既に71巻が発売されている状況ですが、まだ1国も滅んでいないという、まさに驚愕の事態に陥ってます。
ちなみに、史実上の時系列を考えると、大体3分の1が過ぎたといったところなので、もしかしたら200巻くらいは続くのかもしれませんね。

今回は【基礎編】キングダムから学べる春秋戦国時代と題しまして、キングダムで描かれている時代の時代背景や小ネタ·豆知識の基礎編(一般知識)を解説していきたいと思います。

次回は【玄人編】と題しまして、春秋戦国時代をさらに掘り下げて、誰も知らないようなニッチな情報も取り扱っていきたいと思いますので、是非次回のブログも併せてご覧頂ければと思います。

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キングダムの時代背景(春秋戦国時代)

キングダムはみなさんもご存じ、春秋戦国時代における『秦』の中華統一戦争を描いた物語になります。
一般的には秦が中華統一を成し遂げたら終わりと思ってらっしゃる方も多いかと思いますが、原作者の原先生は、とあるインタビューで統一後の『嬴政』についてもしっかり描くと名言されておりました。
そんな春秋戦国時代ですが、一般的に、周が都を洛邑(成周)へ移した紀元前770年から、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代とされております。信と嬴政が出会ったのが紀元前245年であることから、キングダムの世界は春秋戦国時代の中でも末期の末期を描いたものとなります。

ちなみに、余談ですが、春秋戦国時代は大きく分けて『春秋時代』と『戦国時代』に分けることができ、一般的に紀元前770年から紀元前403年を『春秋時代』紀元前403年から紀元前221年を『戦国時代』と呼んでおります。(どこを区切りにするかについては、実は7説くらい存在します・・・)
当ブログ管理者としては、三晋(韓・魏・趙)が周により正式に諸侯に認められた年を春秋時代の終わりと捉えております。

先ほどから『周』という国を何度か登場させておりますが、『周』は秦が中華統一戦争を始める前に中華全体を治めていた王朝となります。
では、『周』が秦の前に中華を統一していたのかと言いますと、これはちょっとニュアンスが違いまして、『周』は周辺各国と主従関係を結ぶ、いわゆる封建制度を敷いていた王朝なので、支配はしていたものの、統一はしていなかったというのが正確な見方になります。(キングダムでは、この辺りを説明するとややこしくなるので、周の存在はあえて伏せているようにみえます。)
さらにいうと、中華統一後の秦の支配地域は、周が治めていた土地よりも広いことから、あくまで中華全土を初めて統一したのは『秦』ということになります。

春秋戦国時代の名前の由来

春秋戦国時代の名前の由来については、2つの歴史書から取られています
『春秋』と『戦国策』と呼ばれている歴史書です。
この2つの書物に描かれていた時代がちょうど春秋戦国時代だったことから、このように名づけられました

歴史書『春秋』とは

せっかくの機会ですので、この2つの歴史書に纏わる小ネタを解説しておくと、『春秋』は、かの有名な『孔子』が制作に関与したとされており、文章は1行1行短く、年表のような書物になってます。
しかしながら、歴史家の中では非常に貴重な書物とされており、なにせ『孔子』が制作に関与している歴史書なので、『春秋』から孔子の思想が読み解けるんではないかと、『春秋学』などといった学問が発生したりしてます。

歴史書『戦国策』とは

一方で、『戦国策』は、名前の通り戦国時代の乱世を遊説して回った小説のようなもので、この時代の歴史書にしては、常にしっかりとした文章で書かれていることが特徴としてあげられます。

歴史書『史記』とは

歴史書繋がりでもう1つ紹介しておくと、春秋戦国時代において一番参考となる書物が司馬遷の書いた『史記』になります。
キングダムの中でも度々この『史記』が取り上げられておりますので、名前をご存じの方は多いかと思います。
キングダム展等に行くと、原先生が実際に使用していた『史記』が飾られており、付箋や書き込みぎっしりされているので、原先生の研究熱心さを垣間見ることができます

歴史書を読み込んで描かれているキングダム

ちなみに、『史記』『戦国策』を実際に読んだことがある方であれば、すぐに気付くことではありますが、キングダムのストーリーには『史記』に描かれていない内容も多々出てきておりますので、おそらく原先生は、春秋戦国時代に纏わる歴史書はのきなみ読み込んでいるのではないかと思っております。
少なくとも『戦国策』については、そうとう読み込まれていること間違いなしです。

春秋戦国時代の日本はどんな感じだったか?

中国における春秋戦国時代は、日本における『弥生時代』に当たります
すなわち、稲作が盛んになった時期で、集落などはあったものの、しっかりした国は存在しない時代となります。
日本でクワを振り上げていた時代に、お隣の中国では信みたいな武将が甲冑をきて馬に乗り、剣や盾を振り回していたわけですから、えらいこっちゃって感じですね。

ちなみに、日本の弥生時代に争いが無かったかというと、そういうわけではありません。
稲作には水がかかせませんので、水をかけた戦いなどは頻繁に行われていたようです。(武器で損傷した人骨がたくさん出土していることから、そのように推察されています。)
ただし、中国では万対万の戦いが当たり前でしたが、日本では1集落、大体100人程度だったと推測されていることから、せいぜい百対百の戦いに留まっていたと考えられます

ちなみに、キングダムの中で、実は日本の弥生時代をモチーフにした戦いがこっそり描かれています
王騎に初めてつけてもらった稽古で出てきた無国籍地帯ですね。
国などは存在しなく、100人程度の集落が無数に存在しており、生存権をかけて老若男女問わず戦いに参加していると・・・まさに日本でいう弥生時代ですね。

死ぬまでに原先生にお会いする機会がありましたら、あの無国籍地帯の平定の話は、日本の弥生時代をモチーフにしていたのでは?という点についてお尋ねしてみたいと思います。

エピローグ

今回は、春秋戦国時代の時代背景や名前の由来その当時の日本の状況について解説してまいりました
日本の状況を考えると、紀元前の世界でキングダムのような戦いが本当に行われていたのであれば、何かロマンめいたものを感じてしまいます。

次回のブログでは、春秋戦国時代をさらに掘り下げて、春秋戦国時代の前の時代や、その時代の中国の思想などにふれた内容を解説していきたいと思いますので、気になった方は是非ご覧いただければと思います。

それでは次回作でまたみなさんにお会いできることを祈りながら拝手
(キングダムで全員が当たり前のようにやってるあれですが、本当にあったのかは謎)

【キングダム解説/考察】#1 誰も知らない豆知識・小ネタ※史実(春秋戦国時代)