【徹底解説】キングダムから学ぶ春秋戦国(基礎編)

みなさんこんにちは!キングダム解剖アナリストの『きまねこ』です。
アニメ(漫画)『キングダム』みなさん楽しんでますか?
漫画は既に71巻が発売されている状況ですが、まだ1国も滅んでいないという、まさに驚愕の事態に陥ってます。
ちなみに、史実上の時系列を考えると、大体3分の1が過ぎたといったところなので、もしかしたら200巻くらいは続くのかもしれませんね。
今回は【基礎編】キングダムから学べる春秋戦国時代と題しまして、キングダムで描かれている時代の時代背景や小ネタ·豆知識の基礎編(一般知識)を解説していきたいと思います。
次回は【玄人編】と題しまして、春秋戦国時代をさらに掘り下げて、誰も知らないようなニッチな情報も取り扱っていきたいと思いますので、是非次回のブログも併せてご覧頂ければと思います。
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キングダムの時代背景(春秋戦国時代)
キングダムはみなさんもご存じ、春秋戦国時代における『秦』の中華統一戦争を描いた物語になります。
一般的には秦が中華統一を成し遂げたら終わりと思ってらっしゃる方も多いかと思いますが、原作者の原先生は、とあるインタビューで統一後の『嬴政』についてもしっかり描くと名言されておりました。
そんな春秋戦国時代ですが、一般的に、周が都を洛邑(成周)へ移した紀元前770年から、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代とされております。信と嬴政が出会ったのが紀元前245年であることから、キングダムの世界は春秋戦国時代の中でも末期の末期を描いたものとなります。
ちなみに、余談ですが、春秋戦国時代は大きく分けて『春秋時代』と『戦国時代』に分けることができ、一般的に紀元前770年から紀元前403年を『春秋時代』、紀元前403年から紀元前221年を『戦国時代』と呼んでおります。(どこを区切りにするかについては、実は7説くらい存在します・・・)
当ブログ管理者としては、三晋(韓・魏・趙)が周により正式に諸侯に認められた年を春秋時代の終わりと捉えております。
先ほどから『周』という国を何度か登場させておりますが、『周』は秦が中華統一戦争を始める前に中華全体を治めていた王朝となります。
では、『周』が秦の前に中華を統一していたのかと言いますと、これはちょっとニュアンスが違いまして、『周』は周辺各国と主従関係を結ぶ、いわゆる封建制度を敷いていた王朝なので、支配はしていたものの、統一はしていなかったというのが正確な見方になります。(キングダムでは、この辺りを説明するとややこしくなるので、周の存在はあえて伏せているようにみえます。)
さらにいうと、中華統一後の秦の支配地域は、周が治めていた土地よりも広いことから、あくまで中華全土を初めて統一したのは『秦』ということになります。
春秋戦国時代の名前の由来
春秋戦国時代の名前の由来については、2つの歴史書から取られています。
『春秋』と『戦国策』と呼ばれている歴史書です。
この2つの書物に描かれていた時代がちょうど春秋戦国時代だったことから、このように名づけられました。
歴史書『春秋』とは
せっかくの機会ですので、この2つの歴史書に纏わる小ネタを解説しておくと、『春秋』は、かの有名な『孔子』が制作に関与したとされており、文章は1行1行短く、年表のような書物になってます。
しかしながら、歴史家の中では非常に貴重な書物とされており、なにせ『孔子』が制作に関与している歴史書なので、『春秋』から孔子の思想が読み解けるんではないかと、『春秋学』などといった学問が発生したりしてます。
歴史書『戦国策』とは
一方で、『戦国策』は、名前の通り戦国時代の乱世を遊説して回った小説のようなもので、この時代の歴史書にしては、非常にしっかりとした文章で書かれていることが特徴としてあげられます。
歴史書『史記』とは
歴史書繋がりでもう1つ紹介しておくと、春秋戦国時代において一番参考となる書物が司馬遷の書いた『史記』になります。
キングダムの中でも度々この『史記』が取り上げられておりますので、名前をご存じの方は多いかと思います。
キングダム展等に行くと、原先生が実際に使用していた『史記』が飾られており、付箋や書き込みぎっしりされているので、原先生の研究熱心さを垣間見ることができます。
歴史書を読み込んで描かれているキングダム
ちなみに、『史記』や『戦国策』を実際に読んだことがある方であれば、すぐに気付くことではありますが、キングダムのストーリーには『史記』に描かれていない内容も多々出てきておりますので、おそらく原先生は、春秋戦国時代に纏わる歴史書はのきなみ読み込んでいるのではないかと思っております。
少なくとも『戦国策』については、そうとう読み込まれていること間違いなしです。
春秋戦国時代の日本はどんな感じだったか?
中国における春秋戦国時代は、日本における『弥生時代』に当たります。
すなわち、稲作が盛んになった時期で、集落などはあったものの、しっかりした国は存在しない時代となります。
日本でクワを振り上げていた時代に、お隣の中国では信みたいな武将が甲冑をきて馬に乗り、剣や盾を振り回していたわけですから、えらいこっちゃって感じですね。
ちなみに、日本の弥生時代に争いが無かったかというと、そういうわけではありません。
稲作には水がかかせませんので、水をかけた戦いなどは頻繁に行われていたようです。(武器で損傷した人骨がたくさん出土していることから、そのように推察されています。)
ただし、中国では万対万の戦いが当たり前でしたが、日本では1集落、大体100人程度だったと推測されていることから、せいぜい百対百の戦いに留まっていたと考えられます。
ちなみに、キングダムの中で、実は日本の弥生時代をモチーフにした戦いがこっそり描かれています。
信が王騎に初めてつけてもらった稽古で出てきた無国籍地帯ですね。
国などは存在しなく、100人程度の集落が無数に存在しており、生存権をかけて老若男女問わず戦いに参加していると・・・まさに日本でいう弥生時代ですね。
死ぬまでに原先生にお会いする機会がありましたら、あの無国籍地帯の平定の話は、日本の弥生時代をモチーフにしていたのでは?という点についてお尋ねしてみたいと思います。
エピローグ
今回は、春秋戦国時代の時代背景や名前の由来、その当時の日本の状況について解説してまいりました。
日本の状況を考えると、紀元前の世界でキングダムのような戦いが本当に行われていたのであれば、何かロマンめいたものを感じてしまいます。
次回のブログでは、春秋戦国時代をさらに掘り下げて、春秋戦国時代の前の時代や、その時代の中国の思想などにふれた内容を解説していきたいと思いますので、気になった方は是非ご覧いただければと思います。
それでは次回作でまたみなさんにお会いできることを祈りながら拝手
(キングダムで全員が当たり前のようにやってるあれですが、本当にあったのかは謎)
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